母の認知症

 

思い返せば6年程前から、あれっ?と思うことがありました。

しかし当時70代半ば、ブティックオーナーとしてバリバリだと

思っていたので認知症には全く結びつきませんでした。

 

が、他の経験者によると「あれッ?」と思った時はすでに初期

を過ぎているのだそうです。
もし今の私に同じような事を相談されたら、間違いなく初期の

認知症だろうと返答することでしょう。

 

 

初期だと分かったからと言って進行を止める事は無理ですが、その後の家族の覚悟と対応と言う

点に於いては必要な自覚をもたらしてくれるはずだと思います。

何の覚悟も無く、どうして?何故こうなるの?を、何年間も繰り返していては限り有る時間が勿体

ないと思うのです。

 

私の場合は昨年末、叔父(母の兄)が亡くなった時にピークを迎え、これはもう絶対におかしいと

思い、初めて区役所の福祉課に相談しました。

その事は直ぐに他の家族に伝えたのですが、弟や妹も2,3年前から、ひょっとしたら、、、

と思っていたと言うのです。

遠慮と自分の親がまさか、と言う気持ちで口に出せずに日を過ごしていただけなのでした。

 

一番影響を受ける私はもう何年も認知症の陽性行動に苦しめられていて限界が来ての相談だっ

た事で、その時点で踏ん切りが着いていましたが、兄弟達は半信半疑。

疑いの時期が短かったとは言え、実は一番嫌な思いをしました。

 

その後2014年4月25日、予てよりの緑内障の手術を受け、看護の不行き届きでベッドから転落

し、あっという間に寝たきり状態になった母。

それでも私に対する不信感と反発だけは残っていて、毎日の付き添いは心身ともに疲れる状態で

した。退院後をどうするか、と言う問題では掛かり付け医やその時点で決めたケアマネージャー

んからも「自宅介護は無理、このまま介護施設に入ってもらいましょう」と言われました。

 

しかし私には母は退院したら自宅で暮らせる可能性が見えていましたから、それを無視して介護

施設に入れると言う考えは全く起きませんでした。

直ぐに介助ベッドやポータブルトイレ、歩行器、手すりなどをレンタルの手配をし、GW明けには準

備が整って退院という事になっていたのですが、その頃から徘徊、暴言、幻覚症状が始まり、整

徘徊する患者は置いておけないから早期に退院するようにと言う病院の要請で予定より4日も早

く退院しました。

その時点ではレンタルを決めた品物は全く届いておらず、どうしようかと思いましたが、案ずるより

産むが易しで、その日から母は自室のベッドで休むことも、自力でトイレに行って用を足すことも出

来たのです。

 しかし認知症からくる暴言や徘徊は治っていたわけでは無かったので、認知症専門医の診察を

受けるまでの2週間程は本当に大変でした。

専門医の見立てで処方された薬が効き始めた時は本当に有難かったです。

 

ここで私がお伝えしたいのは自分の直感を信じて良かったと言う事なのです。

周囲の意見や自分の損得勘定や将来への憶測、保身ではなく、これならイケる、大丈夫と言う直

感を信じて行動したら、いろいろなサポートが付いて来て、助けられ、そのプラスのエネルギーが

母の認知症のタイプを変えたとすら思えるのです。

 

はじめは私に対して敵対心、猜疑心、恐怖の固まりだった母が、徐々に信頼に変わって行くのを

目の当たりにしていると本当の事は最後の最後まで分からない、本当の気持ちも最後の土壇場

でしか分からない、中途で引き返さず、最後まで観るべきだとつくづく思いました。

 

行く手に大きな壁が見えたとして、行っても無駄だからここから方向転換しちゃいましょう、ではなく、

行くだけ行ってみよう、乗り越える方法があるかも知れない、ひょっとしたら壁と思っているのはイリ

ュージョンかも知れないと考えてみて欲しいという事なのです。

 

心身を守るため、防御一方になる生き方を改めて、リスクの本質を見極める、そこまで近寄ってみる

と言う勇気がこれからの地球では求められているのではないでしょうか?

 

あの時、多くの人に非難、批判されましたが、直感の導きに従って得ることが多かったなぁ、と今、と

ても満足しています。

 

とは言え、認知症の陽性行動には日々振り回され、疲弊しておりますが(笑)

 

正直に言って、今は母が可愛く、いじらしく見えています。

母のインナーチャイルドが解放されていくようで、それを一緒に体験できた事、

これが一番嬉しい事でした。

 

 

                      yolly